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2021年11月

真淵を知ろう【第8回】真淵若きころ

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6歳のころ順養子に

真淵の生前、上の姉は政盛を婿にして東岡部家を継ぎ、父政信は与三郎家を別家し、次の姉の婿政孝に継がせていました。
6歳のころ、政盛の養子になったが、そこに実子政友が生まれて帰されました。

 

27歳 婿養子に

真淵は27歳で政長の娘婿子になりました。政長は武士で詩文に秀でていました。政長の女(むすめ)は16歳でした。二人は浜名湖を訪ね、細江や舘山寺に遊び、古人の歌枕を真淵が語り、新妻は父譲りで文雅な受け答えをしたと思われます。
次の真淵67歳の二首に新妻を回想した思いが込められています。

遠つあふみ 浜名のはしの 春の日に
          かすめる波を むかし見しはや 
故郷の 野べ見にくれば むかしわが 
          妹(いも)とすみれの 花咲にけり


しかし、二人の楽しい日々は僅かの間でした。結婚翌年の9月4日うら若い妻はあの世へ旅立ってしまいました。17年後、真淵44歳で浜松に帰省した9月4日に墓参りし、“哀れなる事、その折ばかり覚えて、萎たれ居るに、雁の鳴きければ”と回想して詠っています。

古りにける 常世(とこよ)を慕ふ 雁のみは
          廻り来てこそ 鳴き渡りけれ


 

政長の女への思い
政長の女を失った真淵は、悲しみの余り“真言宗の僧にならむと父母に願った”と伝えられています。後年、真淵は政長の長男で“政長の女”の弟政舎(まさいえ) の女お島を養女とし、中根定雄を婿として家督を継がせました。
 

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2021/11/19 真淵を知ろう   bestscore

真淵を知ろう【第7回】24歳最初の歌文

真淵の家に沿って北へ上る坂道は木立が生い茂り昼も暗い急坂となります。
雨の日、風の日もなまけることなく勉学に励んだ真淵は、享保五年、二十四歳で「賀茂御神にねぎ奉る」という雨ごいの歌文を作りました。
日照りをかなしみ神に雨を願う歌文で、水不足から農民を救いたいと願う真淵の気持ちをおよそ九百字で表しています。

 

「賀茂御神(みかみ)にねぎ奉る」賀茂政躬

「山城の賀茂の神の由緒を讃え、代々の聖のみかども仰ぎ奉り給うとし、岡辺の里に移る賀茂神社の四季の恵を精細に綴る。このところの日照りを憂い秋の露霜も待たずに枝さへ枯れんとし、あはれみ給へ、恵み給へ、雨給へ、雫給へ」 とし、三首の反歌からなる。

 

夏の田をおひそふ雨はつれなくて
        待に日数のふるぞあやなき

めぐみある露さへ置かば岡の辺の
        小山にてる日にしをるとも何

うきふしはなほ諸人もなよ竹や
        すなほなる代を神にまかせて

 

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2021/11/12 真淵を知ろう   bestscore