6歳のころ順養子に
真淵の生前、上の姉は政盛を婿にして東岡部家を継ぎ、父政信は与三郎家を別家し、次の姉の婿政孝に継がせていました。
6歳のころ、政盛の養子になったが、そこに実子政友が生まれて帰されました。
27歳 婿養子に
真淵は27歳で政長の娘婿子になりました。政長は武士で詩文に秀でていました。政長の女(むすめ)は16歳でした。二人は浜名湖を訪ね、細江や舘山寺に遊び、古人の歌枕を真淵が語り、新妻は父譲りで文雅な受け答えをしたと思われます。
次の真淵67歳の二首に新妻を回想した思いが込められています。
遠つあふみ 浜名のはしの 春の日に
かすめる波を むかし見しはや
故郷の 野べ見にくれば むかしわが
妹(いも)とすみれの 花咲にけり
しかし、二人の楽しい日々は僅かの間でした。結婚翌年の9月4日うら若い妻はあの世へ旅立ってしまいました。17年後、真淵44歳で浜松に帰省した9月4日に墓参りし、“哀れなる事、その折ばかり覚えて、萎たれ居るに、雁の鳴きければ”と回想して詠っています。
古りにける 常世(とこよ)を慕ふ 雁のみは
廻り来てこそ 鳴き渡りけれ
政長の女への思い
政長の女を失った真淵は、悲しみの余り“真言宗の僧にならむと父母に願った”と伝えられています。後年、真淵は政長の長男で“政長の女”の弟政舎(まさいえ) の女お島を養女とし、中根定雄を婿として家督を継がせました。