立志の丘(2)縣居翁霊社碑
内山真龍の高弟、高林方朗は、生まれた年が真淵の没年と同年ということもあって真淵尊崇の念が人一倍篤く古学を起こせし祖神(おやかみ)と称えて、真淵翁五十年祭を奉行し霊社を建立しようとしました。
天保四年、浜松城主で幕府の西丸老中の水野忠邦から碑銘をいただき「修造料勧進牒」を回して募金に奔走したが、勝手元不如意、領主忠邦から銀10枚の下賜があったが芳しくなく、加えて天保の大飢饉や大塩平八郎の乱が起こり延び延びになりました。それでも6年後、浄財89両余が集まり、天保10年3月22日真淵の先祖をお祀りしている賀茂神社境内地に御遷座の儀を終えました。
《内山真龍》またつ
竜二俣の庄屋 22歳で真淵に師事 遠江国学の育ての親
《高林方朗》みちあきら
有玉の庄屋高林家の8代目 11歳真龍に入門 領主水野忠邦の国学の師