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2025年09月

賀茂神社境内の碑(2)賀茂神社献詠歌

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昭和十四年九月一日
興亜奉公日制定記念敬神事業
奉納   軍人会東伊場班
寄贈者  鈴木良三
     賀茂真淵研究者
史 料  渥美 實
(注)鈴木良三は、東海紡績社長でガラ紡業界の重鎮。渥美實は真淵研究者 縣居小学校職員

 

賀茂翁家集(岡部日記)

「わが氏の神は岡部の賀茂なり ある時東麿呂うし都に帰るに、浜松に由有りて、暫く憩へるまゝに,詣てて詠みける歌」として春満の歌「みづ垣…」があり続いて「とぞありし 今おのれほどもなく立かへりなんとするに まうでて奉りける長歌」として「そのかみの…」に続いている。

 

賀茂神社献詠歌

荷田春満大人
みつ垣や 其の神山の 影うつす  岡部の松も いく世へぬらむ

賀茂真淵大人  元文元年(四十四歳)
そのかみの 事をしとへば かけまくも あやにかしこし 遠つ神 遠つあふみに はかりなき 恵もふちの 郡なる 岡部の里に 山代の 賀茂の宮居の 新宮の 其瑞籬の 影うつし いはひこし世は 皇(すめろぎ)の 神のみことの 大宮の つぼねの数に つかへつる そのしるよしに はらからの 人につたへて すべ神の みけにそなふる いほまちの なはしろ水の たえやらず まかせ給ひし 文(ふみ)永き 年の名におふ 御しるしを うけつぐまゝに 久方の 乾(あめ)の元(はじめ)の としにさへ しるしたまへる みことのり うけかさね来て 君が世を 千世万世(ちよよろづよ)と いのらへば わぎへの氏も おのづから 世々につえたて みしるしの ありとはいへど 夕附く日 さすがに時世 うつろへば かひもなぎさの 波風の しくめるまゝに 赤駒の はらばふ田居の 畦(あ)をはなち みぞさへわかず いほまちの 名のみ残りて はたまちも あらずなりぬる ことをしも 思ひなげゝど せんすべの たづきもしらず ひつぢぼの たのみもあらず しかれども うがらやからの 多ければ 神にもつかへ ものゝふの 道をもふみきて おのかじゝ 時のあふひを 松がえの 猶世をへつゝ 梓弓 引馬のさとに たてなめて 軍の君の はた雲の おこり給ひし 引馬野に くさむすかばね 露霜の けなばけぬべく おひそやの 雪とみだれて あらましき あらしの風を ふせぎつる かひしありとて 物かづけ いただきまつる 此の神の みいきほひある しるしとて 神のみとしろ またさらに あがちたまひて 氏人は いまもつたへつ もろ人の 数ならねども まれに来て われもことあげす 岡のべの 神代のことは松ぞしるらむ 影山英次郎 刻

 

大意 昔のことを調べると恐れ多いことだが、わが祖先が遠江の測り知れぬ恵み豊かな敷智に、文永の頃山城の賀茂神社の新宮を移し、五百町歩を賜った。更に乾元の代には勅を戴いたが、名だけになり二十町歩もないありさまになった。しかし一族の者は神官として武士として身を立て、やがて三方原の戦いでは乱戦の中の功績により神田を戴き今に伝えている。私も数ならぬ身であるが、稀に来て一族の栄光を言う。岡部一族の神代からのことはこの古い松が知っていよう。

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2025/09/10 賀茂神社境内の碑   bestscore