【1】手水鉢 亦 心
右から読むか、左からか。亦の字は人の形だから心も体もの意だろうとか、縦に重ねて恋ではないか等々と話が出たが、「亦」は赤の異体字(標準字以外のもの)で、赤心(まごころ)と聞く。
裏は、「浜松市議会議長立石健」・昭和三四年九月奉納
【2】本殿修繕 拝殿改築
拝殿東の大きな石碑は『本殿修繕 拝殿改築寄付者芳名』1100円岡部譲・岡部哲、500円東洋紡績に始まり、東伊場(600名)、西伊場(134名) ,森田(82名)の計816名18,074円と米5表の寄付者名が列記されています。
昭和8年9月の竣工。「昭和6年の満州事変、昭和7年の5・15事件の不況の中で、氏子の赤心と宮大工の心こもった造営で、その後の地震や、拝殿内に数か所の弾痕があるものの戦禍を免れたのだろう」と古老は伝える。
【3】御神木案内板
戦前は道路から一面に松杉檜椎の大木が繁茂していた。昭和20年6月18日夜の焼夷弾攻撃により社務所、手水舎は焼失、付近は荒廃し多くの被害者を出した。その中でこの椎の木一本が焼けただれた姿で残った。誰もが枯れると信じていた。神様のお蔭か樹木の生命力の強さか今でも立派に生き残っている。生命の大切さを後世の人に知ってもらうため御神木に指定した。平成元年3月1日 樹齢は推定150年余と聞く。







