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真淵を知ろう【第28回】田安宗武に仕える(2)

御三卿 田安宗武

八代将軍徳川吉宗の次男、真淵より18歳歳下の正徳5年(1715)生まれで、徳川御三家田安家の祖。松平定信の父。幼名小次郎、享保14年(1729)元服宗武を名乗り、同16年田安門内に邸を賜わり以後田安宗武と称す。明和8年(1771)死去。

少年期より和歌に親しみ、荷田在満(ありまろ)に、古学・歌道を学びました。寛保2年(1742)在満に歌道書の執筆を依頼し、『国歌八論』を著して応えたが、宗武は『国歌八論余言』を書いて反論、後に賀茂真淵も加わり3年にわたり続きました。(真淵を知ろう第23回に既述)。その頃、在満の別の著作が幕府の忌避に触れたこともあって在満は田安家の仕官をやめ、賀茂真淵を推薦しました。

宗武の詠風は、はじめ堂上風の伝統主義的でしたが、次第に万葉集の影響を深く受け、清新な発想を古風な調べにのせた独自の歌風を築きました。死後、侍臣らが編纂した家集『天降言(あもりごと)』に和歌300余首が収められています。また、これに紀行文や和歌を補った『悠然院様御詠歌』があり、歌論には『国歌八論余言』『歌体約言』などがあります。儒学のほか、古楽・有職故実などにも精通し、『服飾管見』『楽曲考』など多数の著作があります。

窪田空穂は『近世和歌研究』でこう書いています。「彼は老いるまで少年の持つ驚異の情を失わなかった。彼は、平生見なれていたと思われるものを初めて見るもののように見ることが出来た。(中略)生まれ来った歌人だと思わせる。驚異の情を彼程に持っているのは中世の西行法師くらいで…(後略)」

昼行きし 川にしあれど 夕されば

  静けくゆたに 新しきごと

秋深き 龍田の川は かくぞあらむ

 入日さす雲の うつる川づら

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田安門 

北の丸地区北側の靖国通りに面する。
現在の門は万治元年(1658)に再建された。
国の重要文化財。

2023/09/06 真淵を知ろう   bestscore