小野古道が入門 真淵四十二歳の四月
処士生活の不如意の中、門人をとるようになりました。江戸に出て二年目真淵四十二歳の四月、小野古道が最初の門人になりました。その後、武士、儒者、僧侶、町人が相次いで入門しました。
小野古道は、竜洋町川袋の出で、長谷川謙益といって医を業としていたが壮年時に盲目になり鍼術按腹で鳴らした。和学を好み、同郷のよしみで真淵につくようになりました。「家集」もあり、縣門十二大家のひとりで、縣居神社裏山胸像長谷川貞雄も同じ竜洋川袋の神官の出です。
立派な家を建てる
四十五歳で、北八丁堀に一家を構え、江戸の生活に馴染んだ真淵は、甘藷先生青木昆陽などの文人と交流を深めました。弟子も増え、来客も増え生活が固まり、真淵四十六歳の二月茅場(かやば)町に新宅を建てました。土地は加藤枝直(えなお)に借り、枝直は大岡越前守配下の与力で、自分の勉強のためと、子千蔭(ちかげ)の教育のため真淵を隣に招くと共にお金も面倒みたようです。加藤千蔭は村田春海とともに縣門の双璧、江戸派の中心で、村田春海は、父春道が乾鰯問屋の豪商で神道を伝える人で、真淵は江戸に出た当初止宿していました。
年号 | 年齢 | 出来事 |
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元文2 | 41 | 江戸に出る |
元文3/1738 | 42 | 小野古道が門人になる |
元文5/1740 | 44 | 杉浦国頭没す。7月浜松に帰る |
寛保元 | 45 | 北八丁堀に家を構える |
寛保2 | 46 | 茅場町に新居 |
延享2/1745 | 49 | 実母が死。9月浜松に帰る |
延享3/1746 | 50 | 2月茅場町の家全焼 田安宗武に仕える 10月家が再建 |