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真淵を知ろう【第9回】杉浦家和歌会

真淵を育てた杉浦家和歌会

真淵の国学の特色は、その歌文的性格にあると言われています。真淵自身の素質、好みによることは確かでしょうが、若き日の真淵をはぐくみ、育てた遠江の文化環境に、杉浦国頭や真崎たちが中心となった杉浦家の歌会がありました。真淵が出席した享保六年(真淵二十五歳)頃は月並歌会でした。

享保七年正月、国頭の邸に国頭夫妻を中心に二十三人が集まり和歌会を開いています。参加者の身分は多様で、五社神社の森暉昌(てるまさ)、蒲神明宮の蒲清兼ら神官仲間、教興寺の上人其阿(しょうにんごあ)ら、医師の服部保庵ら、町人の穂積通泰ら、女性の柳瀬理津らが入っています。
中でも歌論書『秋夜随筆』の柳瀬方塾(まさいえ)や漢学者渡辺蒙庵や叔父服部保庵が入っていて、真淵は方塾から和歌革新の心を、保庵・蒙庵から老荘思想・古文辞学の影響を大きく受けました。

「和歌会定」には 「その家のわざにおこたる事なく、その身のつとめわするゝ事あらずして」と明記されています。
和歌会は、杉浦家だけでなく享保七年八月には【政藤家】でも行われました。
吟行にも出かけ、享保九年二月には万斛村甘露寺の梅見の会、四月神立社(蒲神明宮)でも真淵は詠みました。
 

歌会での真淵

真淵は、この和歌会の三年間で一三一首詠んでいます。政藤の名で一〇一首、政成で二七首、他に成政で三首。また歌会には役割があるが、真淵も講師四回、読師二回、雑掌一回、雑餉二回つとめています。このようにして、真淵の歌才は、人々に認められ重んじられていました。

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2021/12/01 真淵を知ろう   bestscore