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2024年01月

真淵を知ろう【第32回】真淵は発展型の人

真淵の学問が、毎十代を区画として発展していることを指摘して『真淵は発展型の人間であった』と評されています。

1737

元文2年

41歳

江戸に出る

1742

寛保2年

46歳

茅場町に新居 冬「遠江歌考」

1746

1747

延享3年

延享4年

50歳

51歳

茅場町の家大火により焼失。 同月 田安宗武に仕え「和学御用」を拝命 5人扶持を賜う

1752

宝暦2年

56歳

15人扶持に加増

1754

宝暦4年

58歳

宗武40歳の賀に御衣を賜わる

1755

 

宝暦5年

59歳

 

9月 自宅を古風に造り、「真木柱」を詠む

この頃 長歌「うま酒」詠む

1756

宝暦6年

60歳

「うらうら桜」を詠む

1757

宝暦7年

61歳

「冠辞考」成る 

「語意考」成稿か

1760

宝暦10年

64歳

11月隠居 隠居料5人扶持

1763

宝暦13年

67歳

2月 大和への旅に 

5月 松坂で本居宣長に会う

・田安宗武に仕えて以降、主君宗武の「万葉」主義の影響を受けて真淵は、万葉研究を深めました。
・万葉研究者は、「宝暦3~4年が、真淵学における万葉主義形成の時期である」と考えられています。
・真淵は、栗田土満あての書簡で『古事記万葉集其他宣明祝詞をよく心得自己に古歌を書て後、其古言を知て紀をも調べしとおもう故に、真淵40年来此事に心を入漸六旬以後意を得たり』とあり、六旬は60年の意で、真淵は60歳ごろ学問の確立を意識したとされています。

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2024/01/10 真淵を知ろう   bestscore