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2021年10月

真淵を知ろう【第6回】手習いの師 杉浦真崎

杉浦雅子(雅名真崎(まさき)

11歳になった真淵は、諏訪神社の神職杉浦国頭(くにあきら)の妻・雅子について手習いを始めました。雅子は、「国学の四大人」で、真淵の師である荷田春満(かだのあずままろ)の姪にあたります。
春満は、伏見稲荷神社の神職の子で幕府の下問に応じ、しばしば江戸に出、国学の創始者として名を挙げていました。春満の江戸神田での歌会に入門したのが、二十六歳の杉浦国頭で諏訪神社社殿の修理を幕府に願い出るために江戸に来ていました。春満は、神道家として立派な国頭を気に入り、妹の娘雅子を15歳のときに嫁がせたのです。

雅子は詠歌に秀で和学の素養もあり、挙措優雅な美しい人でした。真淵を導いたのは十八歳のとき、二十七歳で雅名を真崎としました。名字の杉浦を音だけ漢文風にとると浦ヲ過ギルと岬になるの意で“真崎”とし、婚家との一体感を示したとされています。言葉によって自分の生き方を示す仕方は真淵に大きな影響を与えました。

 

真崎の詠草と真淵の添削

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杉浦国頭(くにあきら)

真淵は勉強が進むと真崎の夫国頭にも詠歌・古典を学ぶようになり、国頭が主宰する和歌会などに参加するようになりました。
浜松諏訪神社の神職のかたわら、浜松の郷土の歴史や名勝、風俗,史話、伝承などを、旧家を訪ね古老たちの口碑を丹念に取材して36歳のとき「曳馬拾遺(ひくましゅうい)」を著しています。
そして、さまざまな文献の研究から浜名湖周辺の文学地誌として「振袖考記(ふりそでこうき)」を出しています.。平安、鎌倉、室町、江戸各時代の地誌や紀行,歌集を集めていました。

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2021/10/28 真淵を知ろう   bestscore

真淵を知ろう【第5回】11歳、手習いを始める

十一歳になった真淵は、諏訪神社の神職杉浦国頭(くにあきら)の妻・真崎(まさき)について手習いを始めました。

真淵の生まれた伊場村(もと岡部郷)は、三方原台地の最南端でした。真淵の家に沿って丘を上る坂は、草木が生い茂り昼なお暗かったでしょう。傾斜二十度の急坂を上りきると、南には紺碧の遠州灘の波濤、東には遠く富士山の麗姿があらわれ、青雲の志を育んだことでしょう。

そして、眼下は農事に励む人たち、農事への愛惜の情が培われたでしょう。
北は三方原のなだらかな起伏がうねうねと続き、すぐ近くに鴨江寺の森が見られました。

真淵は、この坂を通って、当時の浜松の賢人たちから多くを学びました。

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諏訪神社境内図

中ほど右下に「大祝杉浦家」。右上の真淵の賛は、「国頭は濱松の諏訪社の大祝なり(中略) 信濃の月池星池に降る水は諏訪の海に入り、遠江の天の中川(天竜川)に落つ」 
延享三年 真淵五十歳

 

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鴨江寺

大宝2年(702) 創建 江戸時代は、金山神社あたりから根上り松までと広壮

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2021/10/05 真淵を知ろう   bestscore