新着情報新着情報

真淵を知ろう【第35回】うらうら桜

うらうらと のどけき春の 心より

         にほひいでたる 山ざくら花 

真淵60歳の「宝暦6年2月縣居翁家歌会」の作品。

この歌会には、高家職で侍従の横瀬貞隆を始め26名が出席、うち10名は女性でした。興味深いのは、この日の歌会の作品には“まふちこゝろみにあげつらへり”として、真淵は批評のことばを連ねており、真淵の歌論を知ることができるとされています。自身の歌にも、“いまだし”と、けなしているが、この「うらうら桜」には“これのみぞいはれたるこゝちす”として満足していました。着想は単純だが、極めて純粋に叙情的に山桜花を歌っている所に秀れたものがあるとされ、古道確立期の作品であるのに、宣長の“敷島の”のような思想性が鼻につかないのは真淵の詩人性の現われだろうと書かれています。

山桜と遠州国学の深化

この山桜は、真淵の門人内山真龍(旧光明村 大谷)の邸のものだといわれています。この邸前の山桜を、真龍は21歳のときに詠み、真淵につながる一生の思い出としました。

春 住所に桜の咲たりけるを見て

霞立つ 春べになれば、わきへらの 此山里の さくら花 さきにけるかも 白雲の たてるやいづこ 白雲の つもるやいづこ   

反歌(注)  さくらさく 山にしすめば 白雲の 深き宿とや 人の見るらむ 

 

後年、新居の国学者鱸(すずき)有鷹が自分の家号を真龍に乞うと、桜園と大書し、先の反歌(注)を万葉仮名書きして与えている。

更に、白須賀の夏目甕麿(みかまろ)は、うつらうつら身をし思へば桜花咲る皇国に生れ相にけり、と真淵・真龍を意識した桜の和歌を詠んでいる。

2024/04/08 真淵を知ろう   bestscore