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真淵を知ろう【第15回】荷田春満と浜松国学

荷田春満(かだのあずままろ)

寛文3年(1669)~元文元年(1736)

江戸に出た春満は、和学者として和歌を教え「万葉」などを講じていました。その一方で家伝の神道や神事法式を教授し神道者としても名が通るようになっていました。京都に帰った正徳3年(1713)からの10年間ほどは、東往西帰という多忙な日々でこの期に浜松とのゆかりが出来ました。
社殿修造のために江戸に出ていた諏訪神社神職杉浦国頭は、元禄16年(1703)に春満に入門、翌年には五社神社神職森暉昌が入門しました。春満は、杉浦国頭の人柄を見込んで姪の雅子(真崎)を嫁がせました。真崎15歳で杉浦国頭の妻となり、18歳の頃から11歳の賀茂真淵の手習いの師となりました。
国頭、真崎を主とした「杉浦家和歌会」が行われました。名を連ねた人は、全部で70余名、和歌総数は2985首を数えました。こうして、詠歌・国学が盛んとなり遠江の文化環境が高まり、国頭は浜松国学の祖とされました。
春満は、64歳の元文元年7月2日に亡くなりました。浜松では8月17日に杉浦国頭の邸で春満の霊祭を行いました。更に、10月13日には柳瀬方塾邸にて百日祭と歌会が催され、帰省していた真淵も参加し、二首を詠みました。歌会は、春満の一門が中心となって営まれました。春満が浜松でよく慕われていたことが想像されます。


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春満先生霊祀詠対月忍昔
          和歌
   従五位下藤原国頭
 矩茂播れて今はた しのふむかし見し月 のみやこのあきのお 毛舸礙

2022/08/16 真淵を知ろう   bestscore