新着情報新着情報

立志の丘

立志の丘(4)「沈黙は金」碑

arima01.jpg

沈黙は

金なり金

木犀の

 

朗人

一九九九年

天為浜松支部が建つ
 

有馬朗人(ありま あきと)

昭和五年大阪生まれ
浜松市西小学校 
浜松第一中学校(現浜松北高)
旧制武蔵高校
東京大学理学部物理学科卒業
理学博士
理学部長を経て東京大学総長
小渕内閣の文部大臣 
科学技術庁長官
静岡文化芸術大学理事長(初代)
旭日大綬章受章
文化勲章受章
ドイツ、イギリス、フランス各国勲章受賞
浜松市「浜松やらまいか大使」(平成17年)
俳句誌 「天為(てんい)」主宰

 

有馬朗人と俳句

両親ともに俳人  妻ひろ子も俳人  1946「ホトトギス」入選    山口青邨に師事
1990年「天為」(てんい)を創刊・主宰
代表作 『母国』(1972) 『耳順』(1993) 『立志』(1998)
1987年『天為』で俳人協会賞ほか多くの賞受賞

初夏に咲く郵便切手ほどの窓  (1972)

草餅を焼く天平の色に焼く  (1972)

露を置く野のキリストの足の釘  (1962)

あかねさす近江の国の飾り臼  (1987)

 

arima02.png

有馬朗人と縣居神社

朗人は、一中(現浜松北高)受験の際、生涯に一度だけ、縣居神社に合格祈願をした。

≫ 続きを読む

2025/04/04 立志の丘   bestscore

立志の丘(3)「清明直正」碑

jomeisyochoku.png

清明直正の碑

この碑は、遠江神職研究会の皆さんが、明治二十八年の結成以来、平成六年に百周年を迎えて、その記念にと五月二十九日に建立されました。

『神道(かんながらのみち)』は天地の道で自然崇拝、先祖崇拝することで、共生・共存・共栄がその精神です。

手を合わせる、この心が大切です。『清明直正』は文字通り、清く、明るく、直(なお)く、正しくという神道の神髄です。

清らかなこころ、明朗な心、素直な心、そして正しい心という「誠の心」です。このことは国学が求めている心でもあります。

私たちの先人・先祖は、天地の八百万の神を崇拝したように、こうした事を大切にして天地の正道を歩みたいと思います。

≫ 続きを読む

2025/03/10 立志の丘   bestscore

立志の丘(2)縣居翁霊社碑

syahi.pngsyahi02.png

内山真龍の高弟、高林方朗は、生まれた年が真淵の没年と同年ということもあって真淵尊崇の念が人一倍篤く古学を起こせし祖神(おやかみ)と称えて、真淵翁五十年祭を奉行し霊社を建立しようとしました。

天保四年、浜松城主で幕府の西丸老中の水野忠邦から碑銘をいただき「修造料勧進牒」を回して募金に奔走したが、勝手元不如意、領主忠邦から銀10枚の下賜があったが芳しくなく、加えて天保の大飢饉や大塩平八郎の乱が起こり延び延びになりました。それでも6年後、浄財89両余が集まり、天保10年3月22日真淵の先祖をお祀りしている賀茂神社境内地に御遷座の儀を終えました。

syahi03.pngsyahi04.png

内山真龍》またつ
竜二俣の庄屋 22歳で真淵に師事 遠江国学の育ての親

高林方朗》みちあきら
有玉の庄屋高林家の8代目 11歳真龍に入門 領主水野忠邦の国学の師

≫ 続きを読む

2025/02/10 立志の丘   bestscore

立志の丘(1)灯籠坂

touronsaka.png

灯籠坂(とうろうざか)

賀茂真淵の生家から縣居神社に登る灯籠坂は、市内屈指の急坂で傾斜度20度と表示される。高度差20㍍長さ150㍍。

真淵は十一歳から諏訪神社の神職杉浦国頭の妻真崎について手習いを始めました。
当時の「宝永絵図」では、伊場から鴨江への道は一本で鳥居坂と呼ばれていました。真淵の生家はここから二百㍍ほど西にあります。
家の横の丘を上る細い坂は、木立が生い茂り昼なお暗かったでしょう。
上りきると、目の前が開けて遠州灘そして霊峰富士山、三方原のなだらかな起伏が続きます。
そして近くに鴨江寺の森、大地・自然の妙。真淵は、雨の日も風の日もこの坂を通い続けて勉学に励んだのです。    

いわゆる賀茂真淵 立志の【坂】⁉かもしれません。

touronsaka02.png

≫ 続きを読む

2025/01/24 立志の丘   bestscore