真淵を知ろう【第5回】11歳、手習いを始める
十一歳になった真淵は、諏訪神社の神職杉浦国頭(くにあきら)の妻・真崎(まさき)について手習いを始めました。
真淵の生まれた伊場村(もと岡部郷)は、三方原台地の最南端でした。真淵の家に沿って丘を上る坂は、草木が生い茂り昼なお暗かったでしょう。傾斜二十度の急坂を上りきると、南には紺碧の遠州灘の波濤、東には遠く富士山の麗姿があらわれ、青雲の志を育んだことでしょう。
そして、眼下は農事に励む人たち、農事への愛惜の情が培われたでしょう。
北は三方原のなだらかな起伏がうねうねと続き、すぐ近くに鴨江寺の森が見られました。
真淵は、この坂を通って、当時の浜松の賢人たちから多くを学びました。
諏訪神社境内図
中ほど右下に「大祝杉浦家」。右上の真淵の賛は、「国頭は濱松の諏訪社の大祝なり(中略) 信濃の月池星池に降る水は諏訪の海に入り、遠江の天の中川(天竜川)に落つ」
延享三年 真淵五十歳
鴨江寺
大宝2年(702) 創建 江戸時代は、金山神社あたりから根上り松までと広壮