小夜(さよ)更(ふ)けて 松風高き山寺の
月はうき代の 塵も曇らず
春栖(はるずみ)
享保一四年(一七二九)真淵三三歳の八月七日、杉浦国頭・柳瀬方塾等八名で佐鳴湖を船で進み対岸の臨江寺の歌会で詠みました。当時真淵は春栖と称していました。
歌碑の刻字は真淵の真筆を拡大したものです。
歌意は「夜が更けて松を吹く風の音も高い。山寺の月は、憂き世の汚れにも曇らないで美しく輝いている」真淵の憂悶は、二八歳の秋最愛の妻と死別し、涙の乾かぬうちに、母方の縁続きとは言え、学問とは遠い梅谷本陣に婿入りした激変でありましょうか。真淵は、独り憂愁を抱え込むのでなく、和歌会に参加し、師につきその作法に従って学び、“歌人”としての資質を高めていきました。
【臨江寺】
朱塗りの正面山門が映える。佐鳴八景の少林山秋月の舞台。真淵の歌碑の隣に、松尾芭蕉研究の俳人五升庵蝶夢のむら松やみどり立つ中のふじの山の句碑が建つ。
静岡県浜松市中央区入野町20013-5
賀茂真淵記念館から資料提供いただきました。