著述「古器考」「万葉解」「万葉新採百首解」 (下)
真淵は、延享3年(1746)50歳の年に、田安宗武の「和学御用」として仕え、多くの研究に励むとともに著述も多く残っています。
「古器考」真淵53歳の正月2日、「古器考」を宗武に奉る。八足机、高机、台盤等を「江家次第」「栄花物語」などにより考証。 「江家次第」(ごうけしだい。平安後期の有職故実書、著者大江匡房、全21巻)。「栄花物語」平安時代の歴史物語、女性の手による編年体物語風史書 全40巻。後の古冠考」(1760)や「かさねのいろあひ」などと同じ有職関係の書。
「万葉解」真淵53歳の書。“序”と“通釈並釈例”とから成り、万葉の名義・作者・時代・部類と書く。「万葉を読むには、今の点本で意を求めず、五行(タビ)よむべし」と精細な読み方があり、方言俗語との関係に注意を払ったり、「今本に錯乱誤字多し」とし、後の「万葉集大考」に連なっている。そして、「古語を解には五十音を委しくすべし」と、約言・延言・転通音・清濁・音便など語学のことも詳しく書いている。
「万葉新採百首解」真淵56歳の冬と岡部譲が推算。“小次郎様当年御八歳に被為成候”とある。小次郎は宗武の若君。この本は、万葉集の秀歌、短歌だけを百首選び、原文・読み・評釈を並べている。宗武の命によったもので古代思想が強くなっている。殊に“付て記す”には、古道論とでも言うべきものがあり、万葉主義の立場が明らかで、のちに古道入門のテキストにされた。
真淵の書風は若君や姫君のお習字のお手本を書くように筆跡も見事で、後に平田篤胤は「古へ人の心になりもて行て、其の心より物かきもし給ひし…」とし、「王義之の書風に似る」と。