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真淵を知ろう【第24回】『国歌八論』論議

荷田春満の甥の荷田在満(ありまろ)の書いた『国歌八論』は理論的歌論書として評価が高く、ドナルドキーンも高い評価をしているといわれています。

この歌論書をめぐって、田安宗武と賀茂真淵の三者がそれぞれの自説を展開しあいました。

『国歌』とは、和歌のことで、『八論』とは、歌源論・翫歌論・択詞論・避詞論・正過論・宮家論・古楽論・準則論の八つの論のことで、三者は、中世歌学の権威主義や閉鎖性を厳しく批判する点では一致していたが、根本的な相違がありました。

 

在満は「和歌は六芸(注)の類ではないので、本来国の政治に有益なことはなく、日常生活に役立つところがあるわけでない。(注)六芸(りくげい))=中国の周時代、士以上に必修の学芸。礼(作法)楽(音楽) 射(弓術) 御(馬術)書(書道) 数(数学)

 

宗武は、「人の心を和らげるのは歌の道だ。うるわしい歌は人の助けになり、邪悪な歌も戒めになる。つまり、和歌は世を治める上に有益だ」

 

真淵は「理(ことわり)は世に通ずる道理だ。ただ理は理であってもその上に堪えがたい思いを言葉に表すことを「わりなきねがい」(理屈では割りきれない念)と言う」と論を展開し、理性によって律することのできない「わりなきねがい」その理を超えた真情が和歌の本質と主張した。

 

 この「わりなきねがい」という真淵の見方が、後に本居宣長の「もののあわれ」へと継承発展するといわれています。

 三者の違いは、在満の古義学、宗武の朱子学、真淵の徂徠学というそれぞれのもとずく立場の相違によるといわれます。ちなみに、古義学は仁を理想とする実践道義を説き、朱子学は幕藩体制や身分制度を支える思想的支柱として官学化したもので、徂徠学=政治と宗教道徳の分離を進めました。

 この論争は、和歌や文学の本質に触れる論争で、和歌の文学としての地位が示されたと評されたといわれています。

2023/05/15 真淵を知ろう   bestscore